●火禁禍HARD
(あたりまえだけど)天元マナベリと、あとマリア超越(110)があるとかなり楽になるということが分かった。
自発で黒麒麟リキャストのために救援出すまでに数ターンは回しておきたい。
30~の無敵解除特殊はエウロペ召喚+全ガード。あとは気合。
●レンジャーオリジン
DPTが凄い。水は超越マリアの逆位置ディスペルダメージが強いのもあって、着火さえできればなかなか無法かも。
おかげで天元水ソロがするっとできた。火風スタートじゃないと多分無理だけど。
●火禁禍HARD
(あたりまえだけど)天元マナベリと、あとマリア超越(110)があるとかなり楽になるということが分かった。
自発で黒麒麟リキャストのために救援出すまでに数ターンは回しておきたい。
30~の無敵解除特殊はエウロペ召喚+全ガード。あとは気合。
●レンジャーオリジン
DPTが凄い。水は超越マリアの逆位置ディスペルダメージが強いのもあって、着火さえできればなかなか無法かも。
おかげで天元水ソロがするっとできた。火風スタートじゃないと多分無理だけど。
今もジャンプ+で連載中の漫画。
最初は主人公と主人公の親父キャラ付けが妙に悪くて、この路線で行くのなら正直あんまり気持ちよく読めなさそうだな、と思っていた作品。
正直親父殿については今も割とゲスっぽい印象は抜けないのだが、それはそれで味のあるキャラをしていそうではあるし、主人公がイヤな天才というわけでもないので、初期にわざわざネガティブな感情を煽る話づくりをしていたのかな。
ライバルキャラの方がよほど王道少年漫画のキャラ造形をしているとか、ギャップ萌えをちょっとした小話エピソードとして消化したりとか、話づくりの力の入れ方のバランスが何とも面白い。今日更新のエピソードは特に。
アビスレイジ、筋肉島もそうだったけど描きたいものがニッチで、話づくりがそのついでになってしまっているような印象もあるので、今後"癖(ヘキ)"だけで突っ走ろうとしないかが不安なくらいには楽しみな物語になってきている。
他人に厳しくあるなら自分にも厳しくあるほうが筋が通るのはその通りだ、という理屈を言い訳として自分には甘くありたいが、さりとて他者には厳しい姿勢はどうしたって取ってしまう。
何の話かといえば大体League of Legendsの事がほとんどなのだが、その辺は自分の感情と深く結びついた問題なのでバランス感覚をどう取るかというのは難しい。
というようなことをつらつら考えても全然自分のご機嫌取りは上手くならず、そんな自認だけはあるので世間様が色んな物事に怒り、悲しみ、批判し、否定しているのを見かけると以前より疲弊することが増えた気がする。
自分に返ってくることを考えたりはしないのだろうか、とか。
そんなことを考えていられるほど余裕があるんだろうか、とか。
とにかく他者への恨みのような感情ばかりが大きく育ちやすい世情になっているような気がする。オチはない。
これは物語の特異性で記憶に焼き付いたゲーム。
ベースはツクール製なのでそこそこシステム的なアレンジがあったとはいえ、システム的にはツクール製JRPGとしてはそこまで目新しいものではなかったと思う。
が、この作品が記憶に焼き付いている理由はとにもかくにも物語の暗さと救いの無さ、そしてその雰囲気の異質さだったと思う。
とにかく話が暗い。舞台が舞台で主人公がその舞台にいる理由が理由なので仕方ないのだが、やってて憂鬱になる(が、物語は気になる)というのが印象的。
戦闘があるRPGなのでやることはDQだのFFだのと変わらないのだけど、そういった凡庸さを感じさせない、何かを感じさせるゲームだった。
いやでも今出したら多分批判の良い的かな…。良いゲームだと思うんだけど、まあ後味の悪さすさまじいからな…。
これも惜しむらくは作者の方が消息不明?で筆を折られているので「もしかしたら」を期待できないことか。
今でもVectorなんかで入手が可能なんだけど、いかんせん古いゲームではあるので現代人の要求水準からすると色々と厳しそう。気が向いたら遊んでみようかな。
もうwebarchive等からサルベージするくらいしか入手方法がなくなってしまったアドベンチャーゲーム、刑事神南さつき「Man In Black」。
もう20年以上前なので時系列については大体くらいのものになるが、2001年頃にリリースされたと思われるタイトルで、たぶん逆転裁判1と同時期のゲーム。
このタイトルを知っていて、プレイしたことがある、と言う人は結構な物好きに分類されるのではないかと思うくらいには話題にしている人・記事を見た記憶がない。
ストーリー的に傑作かどうかは評価が分かれるのだろうが、なんというか、システムとキャラクタが今思い返しても独特のものを持っているように思う。
ついでに推理モノのゲームを遊ぶと大体この作品を懐かしんでいる気がする。
「調査」「謎解き」「推理」にフォーカスして構成されたシステムは今でも記憶に焼き付いていて、それらを以て対峙する物語は瑕疵も確かにあったのだろうけれど、サイコロが違う出目を出していればもしかしたら…というような感傷に浸らずにはいられない。
アリアの診療録の2巻がだいぶ間が開いてたけど出ていたので読んだのでとりとめもなく。
好き。「病」あるいは「呪い」に立ち向かう患者と医師の物語と言うしかないが、しかし1巻から継続して治療のやり方がとにかく思い切りが良い。ファンタジーではあるのだが、ファンタジーだからと言ってなんか大仰なことは一切しない。
じゃあ何にフォーカスした物語なのかというと許しについての物語なのかなあ。
病の正体も、ファンタジーチックに大仰に描写されてるけど規模が違うだけで現実ではありふれた話のように感じられて、作者様がそのあたりを考えて描いているのかは分からないが、ともかくとしてなんというか、許しとか救いとかって難しいよな、みたいな。
自身を呪うしかなくなったとき、自身を許すためにはどうすればいいんだろう。周りにその呪詛をまき散らさないという条件が付くとそりゃもう無理難題だ。
主要人物は今のところ2人だけで、物語に起伏があるかというと微妙なところなのだが、しかし話づくりには引き込まれる。波長が合うとかそういう類の物かもしれない。面白い物語に必ずしも起伏が必要あるとは思っていないのでいいのだけれど。
淡々(本筋は全然淡々としていないが、"先生"の特性的に)と話が進むので、合う合わないはありそう。3巻で完結とのことなので、気長に待つ。それだけの価値はあると思った。
久々になんか書くついでに過去のまあいらんやろという記事を整理した。
昨今の色々なトピックで繰り返し叫ばれる"正しさ"に疲れている…とか言っても他人事でいることは最早このネット社会では不可能なので、色々と書き連ねて自身の内面を整理したり、単に好きなものだのについて書いたりをしていこうと思う。
そうするにあたって、物事の良し悪しを語る場合、理想の上では「好き嫌い」という尺度はなるべくその評価からは切り離すことが望ましいのだが、困ったことにエンタメという括りにおいては良し悪しと好き嫌いを切り離すことは難しい。
難しいのだが、今後ここで何かを書き連ねるときは意識しておきたいなと思う。
あとは正しさを一番重要な尺度に持ってこないことかな。尺度の一つであるべきで、場合によっては優先しなくてはならないこともあるが、絶対的なものであってはならない。
正しさが主観を抜け出すことは不可能で、つまり正しさは容易に他の誰かのそれと衝突してしまうと思うため。。
とか言ってると、今のネット社会におかれましてはんなわけあるかい!と非難されること必至だと思うが、誰かにとっての正しさが最も重要視される社会・世界が良いものだと思えんのだよなあとか。